浜松市議会議員黒田ゆたかは、小学校3年生から和歌山市立宮北小学校区の野球少年団に入団し、以来、和歌山市立日進中学校野球部主将、和歌山県立和歌山工業高校野球部でも主将を務め、昭和413月の春の選抜野球大会に出場し、甲子園の土も踏んでいる。
 
このときは、1回戦で徳島県代表の徳島商業高校に6:3で敗れたが選抜旗を先頭に、大観衆の中を入場行進したときの感動は、今も尚、私の胸に残っている
 その後、京都の立命館大学に進学し、ここでも、主将を務め、昭和
55年の4年生の春のシーズンでは、打率0.390で首位打者賞を獲得し、歴史に名前を残すことも出来た。

 大学を卒業し、浜松市に本社をおく渇ヘ合楽器製作所に入社し、硬式野球部に属し、選手8年、コーチを4年、合計12年間を河合楽器硬式野球部にお世話になる。
 
その間、都市対抗野球に9回出場し、昭和63年は、補強選手として、富士市の大昭和製紙の選手としても出場した。
この、補強選手の経験は、大変貴重なものとなっている。

 平成4年の10月に、河合楽器硬式野球部を退部し、私自身の、野球人生が終わったが、その後は、社会人野球「浜松ケイスポーツBC」のヘッドコーチ、議員野球の監督などを務めている。
 
しかし、力が入るのは、野球少年団や新津中学校野球部の指導である。
 これらの活動は、私にしか出来ないことで、地域の子どもたちの成長のためにと思い少しでも応援できればと時間を割いて取り組むと同時に、青少年のスポーツ施策の充実にも取り組んでいる。

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昭60年第56回都市対抗野球大会 対新日鉄堺戦
ライトスタンドにツーランホームランを放つ

活動日誌

昭和59年 都市対抗野球
        :新日鉄大分戦
        旧後楽園球場

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レッドサンダーズ
野球選手だった頃

コーチ時代
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昭和51年全国高校野球選抜大会 選抜旗を先頭に入場行進

昭和58年第54回都市対抗野球大会 対新日鉄堺戦